親鸞聖人のあい弟子となった村松左門行武の十代目に当たる村松左門茂武が、西本願寺の法主准如上人に帰依し、法名を釈了賢と賜り江戸湯島三組町に一寺を建立しました。これが西教寺の草創で、西本願寺良如上人の代でありました。
元禄二年(1689)に二世誓玄上人の時代に現在の文京区向丘(旧駒込片町)に移り、第八慧海は寺門を興隆し中興開山されました。現在、幸いにも大正の震災も昭和の戦火にも被害を免がれ、明治の堂字を維持しています。
什物には、御本尊阿弥陀如来の木造は安阿弥の作と伝えられており、室町時代の(1500)の涅槃図や豊臣秀吉の手印、仏舎十一粒等あります。建物としては、酒井雅楽守の御守殿門と伝えられる山門をはじめ鐘は湯島の元町興安寺より明治十五年に移築したものであり、六間四面の本堂は明治十九年(1886)に第十二世賢正の代に建立されたものです。
当時の近くには、かの有名な八百屋お七の住居があったと伝えられています。
住所 : 東京都文京区向丘2-1-10
宗派 : 浄土真宗本願寺派
開山 : 1630年
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